PROFILE

河野鳥クミコ(こうのとりくみこ)
1978年4月生まれ
株式会社トツキトウカ 代表取締役
出張専門助産院なうハッピー代表
8歳での入院・手術からの看護師、助産師として生き
4000人を超える女性を関わってきた経験と
20代前半でのDVからの妊娠流産、30代での寝たきりという
過去のつらい経験や、ADHD、DSP、エンパスでもあり抱えてきた生きづらさとその開放を通して
マインド、健康、美容、自己啓発、成功哲学など
女性が、自分で人生を選んで強く美しく生き抜いていくための方法を
内面と外面から独自の視点から配信している助産師メンタルコーチ、フォトグラファー
旅と自然とお洒落と夫が大好き。人生の歩き方は登る山々から教わった。
趣味は四季を取り入れた丁寧な暮らしと思い描いたものを形にすること、
最近は夫と一緒にローズガーデンや庭づくり。
人生の2/3はセキセイインコと暮らしていて、大の鳥好き
性格は、のんびり全国飛び回ってセミナーや撮影を行っているアクティブな面もあるが、
マンガが大好きで、畑いじりや家で昼寝をするのが幸せという出不精。
そんな1面も合わせ持ちながら、大きなザックと地図を片手に1日で日本百名山を縦走する。
夢は80歳になってもハイヒールをはいて、お洒落して世界を飛び回って挑戦し続ける、
アクティブで可愛いおばあちゃんになることと、「あー人生楽しかった」って死ぬこと。
about Kumiko



「女になんて生まれなければこんな思いなんてしなくてよかったのに。。。」
「男なんて、妊婦なんて、子どもなんて、そして私なんて消えてしまえばいい」
年上だから命令調…からのデートDV、妊娠、
職場で働きながらの流産、そしてまたDV…。ズタズタでした。

流産から10日で6キロ痩せました。何も食べられずフラフラでした。
つらいつらい、でも死ねない、
大事な命さえ守れない私には死ぬことすら許されない。
苦しすぎて誰かに助けて欲しかった。
でも助けてと、言うことも赦されない気がして、誰にも言えなかった。
「なんでこんなことになったんだろう、私の何が悪かったんだろう。もうイヤだ疲れた」
あの日私は暗い部屋の隅で、膝を抱えて泣き続けました。
でも本当は、本気でここから救い出してくれる人を心の底から求めていた半面、
実際にありえないと、諦めていたのです。
そこから3年、正直あまり記憶はありません。ある日鏡を見た私は、あまりのボロボロぶりに驚愕、
「20代は人生で一番女を謳歌して光り輝いているはずなのに、ひどい、ひどすぎる。。。
このまま人生が終わるのは嫌だ、私の人生こんなもんじゃない!!
ものすごいショックとともに、心の底から湧き上がる猛烈な衝動。。。
そう、そこから本当の私の人生の一歩が始まっていったのです。

MY EPISODE
8歳で見つけた叶う法則

12月のあの日は8歳の私にとって特別な日になるはずでした。
初めてのお友達の家のお泊り、次の日ディズニーランドに一緒に行く予定で
なのに・・・
現実は、冷たい手術台の上でお腹を切られ、夢の国で楽しいのはずが、
病院のベッドで術後の痛みで呻いてもだえ苦しむ、今なら”なんでやねーん”と言いたくなる展開でした。
そう、、まさかの急性盲腸炎でその日に入院、午後には緊急手術!でバタバタ
でも、その入院で出会った看護師Oさん。彼女との出会いが人生を変えることになったのです。
痛みと苦しみとさみしさに寄り添ってもらった私は
「このしてもらった嬉しさを救われたありがたさを、
今度は私が他の人にすることで恩を返していきたい、そうだ!看護師になろう!」
と、手術室からまさかの未来の夢が産まれてしまった瞬間!でした。
助産師になるときも、今度は産科でママたちの応援がしたいと伝えたら、
「私たちは本当にここで支えてもらったから、今度はママたちの力になってね。応援する!」と、
NICUで担当だったママさんたちが熱く熱く背中を押してくれました。
私の夢は彼女たちの夢にもなって、その想いが背中を支えてもらって100人力で、
難関で狭き門のはずの助産師学校に、全部受かるという結果になって今に至るんだけど、
石と石がぶつかり合って炎が産まれるように
「願いの生まれるときに、叶えるためにはそこに必ず誰かがいる」んですね
叶えるためには、願い続けること、叶える努力、はもちろんだけど、やっぱり人はひとりじゃ生きられない。
誰かと共有しあって、応援しあって、そうやって叶えていくって教わっていたんだなぁって気づいたのでした。
「体は願いをかなえてくれるパートナー」

35歳のある日、14歳で折った背骨をお産勤務中にまた傷めてたら、
場所が悪かったのか、みるみる悪化して寝たきりになりました。
体が動かない、激痛で何も出来なくて、お先真っ暗。。
身体が私の邪魔をする!と憎んですらいたんです。
そして、その寝たきり生活で出会ったのが、
ハワイの少数民族に継承される「ホ・オポノポノ」という豊かに生きるためのメソッド。
「人生の中で起きることはすべて自分の責任」みたいなことがあって、
えっ!!この状況、私の責任??こんなひどいのに??と衝撃が…。
でも、思い返せば、身体は大丈夫だから、
としんどいのに薬を飲んでごまかしながら働いてきた酷使しまくったし、
確かに私のせいかも。。。
そう思ったら、本当にすみませんでした!
私が責任を持って治しますって、もう気持ちは土下座!治すスイッチが入ったんです。
東洋医学や自然療法など、治すヒントになるならと探して、
この寝たきりって赤ちゃんみたいだなぁ、寝返りしか打てないし。ん?待てよ。。
そう、このつぶやきから赤ちゃんの発達を自分のために学んで、
首が据わるところから、時間をかけてコアから体を作り直したんです。
おかげさまでケガ前よりタフに元気になって、全国お仕事で飛び回れるようにもなったし、
北アルプスに単独で登れるようになりました。(写真は:劔岳山頂より)
結果、雨降って地固まる、みたいになりましたが、身体は願いを叶えてくれる大事なパートナー。
今日も一日支えてくれてありがとうねって、感謝の気持ちで眠りについています。
人生の分岐点

お産の仕事中にかつて折った背骨を痛めてしまって、
起き上がれず寝たきりになりました。
大人で2足歩行するための筋力を鍛えて、職場の復帰には結局1年かかって、でも、
やっぱり以前と同じように働けなくて
配属先の師長さんに
「夜勤をしないならここにはいられない」と直接言われて、
助産師は私の夢だったのに、私だけでなく、背中を押してくれたママたちの夢でもあったのに・・・。
裏切ることになるのかな。
看護師として助産師として生きていく中で、
関わることに喜びを感じ、お産のパワーにエネルギーをもらい、
赤子たちに癒されてきた天職だと思って、8歳のころから願い叶え続けてきたこの仕事。
”クミコさんに会えてよかった。また会いに来ますね”そう言ってくれた人たちがたくさんいたのに・・・。
あの頃は毎日家で泣いていました。
決断するまで、いく夜も行く夜も悩んで、
でも、どうしても職業柄負担のかかる姿勢、緊張感の高い場所での勤務。
1日こなすのにヘトヘトでバタンキューの毎日。
十二分に働けないそんな申し訳なさと
自分が頑張れば、我慢すれば、無理すれば、、、と思いながらも、
どうにももう超えられない何かがあって、踏ん張ることが出来なかったのです。
このままじゃまた私が壊れてしまう。それだけは二度としちゃいけない!
自分らしさを取り戻すことができるなら今までと違う道を選んでみようと、迷った末
私は、退職という道を選びました。
退職日に病院を出た途端世界が彩りにあふれ、光輝いた体験は今も忘れられません。
ひとのため誰かのためにより、まず自分を!!と、
私の中の価値の基準が変わった瞬間でした。
そしてこの決断が、新しい道を開くことになるのです。
おかえり私、たどり着いた
幸せのカタチとその先へ・・・

あの日、夕暮れに染まる空いっぱいに広がるダイナミック雲に心が奪われて、
感動のあまり動けなくなってしまった。
それは、仕事に追われて心を亡くしていた私の心の奥にある
カチカチに固まってしまっていた何かを、優しく抱きしめてくれたみたいで
私に、本当の私で生きていいよと呼びかけてくれた。
あー、私は私で、私を生きていいんだね。
命を取り戻した私はここで生きていきたい、ここで生きていこうと願った。
おかえり私と、ようやく自分を抱きしめてOKをあげることが出来ました。
だから、河野鳥クミコの第2章の幕開けはここ群馬から始まったのです。
群馬に行って開業した私は助産院に「NowHappy」とつけました。
今、この瞬間を笑顔で幸せで生きる
今を幸せに生きれば望む未来は創れるよという、メッセージ。
決して楽ではなかったそれまでの人生が教えてくれた
「幸せになるための秘訣」をこれから出会うかたへの想いを込めて。
今までは幸せになるためにもがき苦しんで、幸せを追い求めていたそんな人生
幸せになってみてわかったのは幸せは、その瞬間瞬間で感じるもの。ということ。
幸せか苦しいか選び方次第で人生はどっちにも転がる、のだ。つまり自分次第!
そしてさらに私、気づいちゃったんです
あんなに求めた幸せは、
自分だけ幸せになっても、なーんにも楽しくも面白くもない。ということ。
この喜びを分かち合って共に成長し、歩んでいける人たちと作っていく方が楽しいということを。
だから、今度は変わりたい人たちを応援する側になったのです。
“世の中に幸せな女性を増やしたい。女性は家庭の太陽だから”
クミコ流仲良し夫婦のためのコツ

我が家は結婚1年制です。そういうと、たいてい驚かれます。
毎年結婚記念日前日に1年を振り返って、また1年共に歩むか、
この生活を更新するかどうかを二人で話して決めています。
私はずっと「結婚したら生涯連れ添う」というその概念に違和感がありました。
付き合ってた頃、1度別れ話をしました。
彼が〇〇だったらいいのにと、そうしてくれない彼を責めたのです。
でも、涙が止まらない。彼が変われば一緒にいたいのに。。。
という、こころの声を聞いたとき
「まてまて、一緒にいたいんじゃん。自分ややこしーーー!」となりました。
はい、やっぱりなんでもすべての出来事は「自分発信」なのですよ。
自分が自分の本音を知らないから、こじれる現実を作っているんです。
別れても今の状態なら、また同じような人が来る。
それなら、この人ととことん向き合って、私が変わろう。
この人を最後のパートナーにしよう。
それがクミコが決めた向き合い方でした。(もう過去の恋愛で疲れていたともいう)
結婚は必須じゃない。
してもしなくてもどちらでもいいと思うんです。出産子育てもしかり。
ただ、この人と出会いたい、この人と一緒にいて新しい生きる形を作りたいって、
それが、私らしく人生を創っていくときに彼とやりたいことなら、それを選べばいいこと。
と、思っています。
紙切れ一枚の重さ以上にたくさんのものを伴うからこそ、
その気持ちと双方の前向きな努力の積み重ねであっての続いていくものでありたいんです。
最初から、それを話しあって、そう決めて結婚しました。
結婚したから幸せで、結婚したから生涯安心ってあぐらをかいていたら、
あっという間にうまくいかなくなってしまう。だって他人同士なんだもの。
ありがたいことに、どこにいっても「仲がいいですね、幸せそうですね」と言われます。
”世界で一番大事だよ。宝物だよ。今日もお疲れさま”と毎日のように言われます。
あの日、自分が彼に対して決めたことが2つあって、それを今もずっと続けています。
(詳しくは魂美人レッスンなどでお伝えをしています)
そして、年老いて命が終わるときまでともに仲良くいられたら、そんな結果論が理想です。
「一生“女”を楽しみたいから」

私自身も、応援してきた皆さんを見ていても面白いなぁって思うのは
最初起きている色々な悩みが手放せて、どんどん自分に意識が向いてくると
みんな「もっとキレイになりたい、本当は可愛くいたい」って言い始める。
それだけゆとりが出てきて、元気になってきた証拠で嬉しくなっちゃう
笑顔もそう。私は過去の経験から、女でいることがとても許せなかったし、
苦しかった時は上手に笑えなくて笑い方も忘れていた。
今底なしに笑えるようになったのは、自分の中にあるねじれを全て手放しているから。ただ、
”笑顔で生きよう!それが人生へのマナー、”と決めてきたものの、
ファッションやメイクも、美しさも見て見ぬふりして蓋をしてきたの。
でも、とあるかたの、美しさを取り戻した話を聞いた時、なぜか大号泣してしまって。
そう、羨ましいも嫉妬も、見て見ぬ振りも、なかったことにしてごまかすのも、
みんな“女らしくしてて羨ましい。本当は私もそうなりたい”からのサインだった。
それくらい押し込めていたのに、恐ろしいくらい全く気付かなかった。
女でいる、女でいたいと思えるって本当はとても楽しいこと。
可愛いとかには目を背けてきたけど、全部しぐさや立ち振る舞い、ハイヒールでさっそうと歩くこと、
そういった“大人の美しい女性”にもとても憧れてたから、ついに講師の資格まで取りに行ってしまったくらい、
いくつからでも、取り戻したい!磨きたい!と思ったところがあなたのスタートライン。
自分を磨けば自分のことが分かるようになるし、期待以上に答えてくれる。
自分のカラダだから、信じてあげるのも、自分を慈しむ1つかなって思う。
そして、将来はちゃんと枯れる美しさも楽しさも味わいたい
外見から入ってももちろん大丈夫。外見と内面に合った美しさを兼ね備えられたらいいよね。
今までの人生を光に変えて、
次はあなたも手渡す側へ

私の人生は、すべてを失った時期がありました。
愛もお金も人も体も使命だった仕事も粉々になって、初めて自分を見つめはじめたのです。
今となっては最高の人生の分岐点、本来の私に還るタイミングでした
それまではすべて、誰かのせいにして生きてきました。
それでは通用しないと降参して、
結局は自分が変わらないといけないんだな・・・にたどり着いたんです。
苦しいとき、言われる言葉に耳が痛くて逃げたいとき、が本当に変わるチャンス。
そう思ってでも本当に超えたいと思うなら、私は一緒にそこに深く関わりたい。
だから、その時が来たら「今だよ」っていいます。
どうしても得たい未来のために必死にあがくことも、時には必要だから。
あなたこそが唯一無二。あなただから発揮できる力がある。
その先に透ける、笑顔で輝いて力を発揮しまくっている本当のあなたがみえるから、
今の殻を破ってそっちに行って欲しいって本気で思ってる。
たくさんの数をこなすより、
”どれだけひとりのクライアントさんのこころに向き合えるか”が大切なんです。
その気持ちで作ったNowHAPPYは気づけば会社にまで育ってしまった。
生きてきた中にたくさんつくってきたいらない思考や思い込み
時には無意識なまでに刷り込まれているそれが今のあなたを作ってる。
まずは自分を知ろうよ。人生のラスボスは自分だから
何でも自分が原因だから、人生はひっくり返せる
向き合うのは変えるのは自分だけ。他人はいらない。とてもシンプルなんです。
そうやって”魂美人”メソッドが生まれました。
産む”性”を持つ女性だからこそ、産み出す力も与える器も兼ね備えているのだから。
そして、あなたが変われたその次は
今度は人にその喜びを与える側の人になろうよ
そうやってそれぞれ、今生きている世界に希望が増えて幸せになったら、
世界から本気で戦争が消えると思っている。
女性こそ強くあれ!
”やっぱり、女って最高じゃん。”って凛と笑って誇らしく生きよう
私たちはいくつからだって、どの状態からだって変わっていける。
幸せの始まりは自分と向き合う一歩から

河野鳥 クミコってこんな人
受講生や周りの方から見た河野鳥クミコについて寄せられた声をご紹介します。
♥ クミコさんは「伴走者」のイメージです。ずっと先にいるような、すぐそばにいるような。
「その時を待つ」感じ。その人の成長を願い、サポートして頂ける存在もレアだと思います。
♥ ブログやFBの投稿は文章がとても優しくてホンワカしたり、私の心の隅っこに隠れていた自分が反応したり、こういう文章が書ける人はレアだと思う。文章だけでなく、写真付きでパワーアップ。1次元から2次元に…を飛び越えて4次元くらいの奥行と広がりを感じます。
- ♡ 芯があり、愛がベースにある。そして、その愛を惜しみなく分けへだてなく出しているひと
- ♡ とてもシンプルでそのままで嘘がない人
- ♡ さえぎるものなく、どこまでも世界が広がっている人
- ♡ 本当に必要なことをストレートに伝えてくれる
- ♡ 分かったつもりで終わらせずに、言葉を選んで、心に刺さるよう伝えてくれる
- ♡ 届くまで何度も言い続けてくれ、実際に変わることを大切にしている。
- ♡ クミコさんの実体験から出てくる言葉に説得力と愛がつまっている
- ♡ どこでも誰とでも自然体!自然体が温かくて、優しくて、芯があって、可愛い!
- ♡ まっすぐ素直に、やりたい事を叶えてる!
- ♡ ブレない。カッコいいのに可愛い、オシャレ
- ♡ 産み出す力や作り出す力がすごい
- ♡ 見失っている自分を取り戻し輝いていけるように導いてくれている
- ♡ 知らない自分、自分はこんなにステキだし、どんどん進化していくよーって、教えてくれる
- ♡ 表現が豊かで噛み砕いて、分かりやすく伝えてくれる
- ♡ 優しさの中に強さがあるのもいいし自然な所も!